日本初の自動車リコールとAT車のエンスト問題

先月の中日新聞に、『トヨタの系譜 時流の先への』第2部 「危機の教訓」が連載されていました。全国版ではありませんので、読まれた方は少ないと思いますが、この第2部は予期せぬ加速問題とプリウスブレーキリコール問題の顛末が主題です。騒ぎが大きくなり章男社長が米国連邦議会の公聴会に呼ばれ証言をし、不具合”がまだ疑いだけの段階でこの公聴会でも取り上げられ、当時の運輸大臣ラソーダ氏のトヨタバッシングとなる「トヨタ車はお勧めしない」とのフライング発言までありました。この電子制御系不具合による暴走問題は、その後の米国ハイウエー運輸安全局(NHTSA)と航空宇宙(NASA)の専門家達による合同調査で疑いが晴れましたが、これがハイブリッド車の普及に大きなマイナスになってしまいました。この記事は、章男社長の公聴会での証言とその後の米国トヨタディーラー激励会での涙、CNNライブでのやりとりから、さらにNHTSAとNASAでの調査結果まで取り上げられていました。この2部の最後、5月1日号に私のコメントが紹介されていました。インタビューを受けたのは、マスキー法からプリウスまでの取り組みで、その中でお話したその後の自動車エンジニアの原体験となった日本初の自動車リコールが取り上げられていました。わずか1行の紹介でしたが、その話を取り上げた記者の方が掲載された一連の新聞を送ってくれました。
今日の話題は、この日本リコール届け出第1号の話題と、自動車の重大不具合として今週メディアで話題となったオートマ車のエンスト問題です。

日本の自動車リコール第1号
日本に自動車リコール制度は、1969年6月に運輸省(現国交省)の通達でスタートしました。第1号がトヨペットコロナRT40のブレーキ配管腐食によるクラックからブレーキフルッドが洩れ、ブレーキ失陥を引き起こす重大不具合でした。丁度その年の4月にトヨタに入社しました。集合教育の後、工場実習を終えると6月から、各地の販売店に派遣されサービス実習・セールス実習が始まります。私も出身地の札幌でサービス・セールス実習を行いました。リコール届け直後のサービス実習では、受け入れ先の販売店さんにとってトヨタ自動車からの実習生は飛んで火に入る夏の虫、1カ月のサービス実習の全てが、市内を歩き回りリコール該当車を探し回る仕事でした。RT40コロナを見つけると、床下を覗きブレーキ配管にブレーキフルードの滲みがないかを確認し、該当車のワイパーにリコール修理呼び込みのパンフレットを挟んで回る仕事です。まだ、学生気分が抜けず、また北海道とはいえ暑い時期、不平たらたらで歩き回った記憶があります。これが、中日新聞で取り上げられたエピソードです。

この実習を終え、トヨタに戻り、2度目の工場実習を終えるといよいよ職場配属です。私の配属先は、駆動ユニットと制動ユニットの設計担当の駆動設計課、ブレーキ・リコールの責任設計部署でした。まだリコール対応のまっただ中、TVコマーシャルでリコール告知と修理持ち込みのお願い、リコールのお詫びが流れていました。そのリコール内容の説明役が直属課長、日頃指導を受けている課長がTVで頭を下げ、技術説明を懇切丁寧にされている姿を見て、自動車会社の責任、設計担当の責任の重さを思い知らされました。駆動設計ではリコールを引き起こすような大チョンボはやらずに済みましたが、単発のチョンボ設計は何度かやりました。上司から叱責を受けた記憶はありませんが、そのちょっとしたチョンボがお客様にご迷惑をおかけし、販売店サービスを苦労させたことに、やった自分自身が一番堪えました。このリコール第1号のサービス現場体験、そのリコールフォローに飛び回る配属先の臨場感、そして自分が引き起こした設計不具合の影響の大きさ、この時期の体験がそれ以降の自動車エンジニアとしてのスタートポイントになったように思います。

排ガスリコールとエンジン適合不良によるエンスト不具合
クリーンエンジン開発担当時も、リコールは身近な話でした。米国で排気規制を管轄する環境保護庁(EPA)は、規制をしっかり守っているかチェックする経年車のエミッションサーベイ試験をやっていました。この成績が悪いとリコールを命じます。1970年代~80年代では、米ビッグ3の成績が悪く、度々排ガスリコール命令が出ていました。排ガスリコールは何年か売り続けた経年車が対象ですから、ビッグ3のメイン車種となると対象台数は半端ではありません。当時のリコールで1回あたり数百億が吹っ飛ぶ規模です。トヨタの米国主力車種、カムリやカローラがリコールを起こすとこれまた半端な台数ではありません。量産設計の担当ではありませんでしたが、1990年からは米国向けの全ての車種のエンジン排気システム諸元を決めるリーダとなり、エンジンの品質問題、排気システム品質確保、重大不具合の未然防止は最優先マネージテーマでした。トヨタはこの排ガス品質では優等生、1990年代まで排ガスリコールはありませんでしたので、開発担当としてはこのリコール・ゼロ継続も大きなプレッシャでした。1980年代から仲間内ではリコール・ゼロの継続が話題で、自分の担当でゼロを打ち止めにはしたくないと我慢競争をしていたように思います。エンジン制御も担当しましたが、これもまたリコールに直結する重大不具合との関わりが大きい分野です。排ガス品質を確保できたとしても、ギリギリのエンジン制御適合でエンスト、ショック、もたつき、サージ振動といったドラビリ不具合を起こしてしまうとこれまたお客様にご迷惑をおかけする市場不具合となります。このドラビリ問題の中で、適合評価で気を遣ったのがオートマ車のD/Rレンジ・エンスト不具合です。これが今日のもう一つの話題です。

今のガソリンエンジンは全て電子制御燃料噴射エンジンです。長い期間使った経年車では、空気を送り込む吸気バルブにカーボンやオイル中の固形分がたまり、噴射した燃料がトラップされ不整燃焼が起きやすくなります。さらにガソリンが揮発性の高い冬用から揮発性の低い夏用に切り替わる時期でマーケット上限の揮発性が低い夏燃料を用い、急なスロットル操作をやると適切な燃料が供給されず、不整燃焼が起きやすくなります。これに、P/Nレンジから急にDレンジに入れ、同時にアクセルのチョイ踏み、さらにDレンジのままアクセルのon/off操作で坂道をずり下がる、途中でDからRに切り替えるなど、不整燃焼、エンストを起こし易い意地悪操作をいやというほど繰り返し、耐エンスト性の確認とエンスト不具合の未然防止適合を行うのが通例でした。いかに経年車とはいえ、マーケットでエンスト不具合を起こすのはエンジン開発屋の恥との感覚だったと思います。

なぜ今頃ガソリンオートマ車のエンスト問題?
最近このガソリンAT車のエンスト不具合問題がメディアで話題となっています。この切掛けは、3月に交通安全環境研究所が国交省の委託調査としておこなった-「エンジン停止走行」に繋がるおそれがある事象に関する調査-なるレポートです。
http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/common/data/201403_report.pdf
国交省がこのレポート結果を公表し、自動車のリコール・不具合情報サイトで再現ビデオを付けて紹介しています。http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/carsafety_sub/carsafety027.html
これをメディアが一斉に取り上げたのが今週です。

誤操作による急発進や、逆走を防ぐために、AT車やハイブリッド車では、P/Nレンジ、システムによってはさらにブレーキを踏んでいる状態でのみエンジン始動やモーター駆動力が発生するように設定しています。D/Rレンジではどんな意地悪操作であろうが、エンストは起こさないことが前提で始動シーケンスをを組んでいます。ですから、この状態でエンストが発生すると、P/Nレンジに入れ直し、ブレーキを踏み始動操作をやり直す面倒な操作を要求しています。この状態でエンストが起きると、通常のガソリン車ではパワステの油圧が低下しパワステが効かなくなり、またブレーキ油圧もエンジン回転でポンプを回し発生させていますので、油圧低下をきたしブレーキが効かなくなるケースも発生します。この状況に陥るとドライバーがパニック状態に陥ることも開発では考慮に入れる必要があります。何よりも、エンストさせないことです。

無理な低燃費適合も遠因では?
国交省のリコール・不具合情報サイトでは、ドライバーの操作についての注意喚起になっていますが、低燃費競争のなかで、エンスト防止への適合評価がおろそかになっているのではとの心配をしています。燃費のために、アイドル回転数を下げるとエンストしやすくなります。またATのトルコンも、動力伝達効率を高めるため滑りの少ないタイトなものを採用する方向、これもエンストしやすくなります。カタログ燃費競争が激しくなるなか、AT車でエンストを起こす適合は恥との感覚が薄くなってはいないでしょうか?安全が何よりも最優先です。

プッシュボタンスタートの流行にも?
また、二代目プリウスから採用したプッシュボタンスタートが、コンベ車にもどんどん採用されるようになってきました。この誤操作としてエンジンが起動していない状態で、D/Rレンジに入れるとそれが坂道なら走り出してしまう不具合も報告されています。この状態では、パワステ油圧もブレーキ油圧も発生しておらず、どちらも効かずパニックに陥ってしまうケースが紹介されています。このプッシュボタンスタートの採用も、プリウスが採用してからの流行として安易に採用していないでしょうか?二代目プリウスでスマートスイッチは車両主査グループからの採用要望でしたが、われわれハイブリッドチームも不具合防止、ご誤操作防止、誤操作時のパニック操作、その時の挙動分析を何度も何度も行い、採用を決めてきました。ハイブリッドだから、全くこのようなエンスト、パワーシャットダウン不具合がなかったと言うつもりはありません。部品不具合でのシャットダウン、エンストでお客様にもご迷惑をおかけしました。しかし、適合不良としてのエンスト、シャットダウン不具合は現役時代には起こしませんでした。自分が適合作業をやった訳ではありませんが今でもリーダとしての誇りです。
中日新聞で取り上げていた、プリウスの電子制御が疑われた予期せぬ急加速問題のNHTSAとNASA専門家調査で白となった背景にも、プリウスの途中から入れた簡易ドライブレコーダーのデータ解析が決め手になったと書かれていました。バイ・ワイヤ制御が不可欠のハイブリッドで何か重大不具合が起こった時の原因究明に役立つかもしれないと、修理書にも記載せずこっそりと入れた機能でした。

何度もこのブログで書いているように、安全がなによりも優先、排気クリーンはもちろん低燃費とも、いわんやコストとのトレードはやってはいけないことを肝に銘じて欲しいと思います。知恵を絞ってトレードオフポイントを高い位置に引き上げるのが技術進化です。