プリウス開発と和田明広氏

8月 08 2013

初代プリウスの開発で技術部隊の総指揮の任にあたったのが、要素技術開発から車両開発までトヨタ自動車の技術部門を率いておられた副社長の和田明広氏でした。そのころトヨタの富士の裾野にある研究所でクリーンエンジン、低燃費エンジンの開発リーダーを務めていましたが、出張先に担当役員からすぐ電話するようにとのメモが入っており、電話をするとプリウスに搭載するハイブリッド開発のリーダーとしての本社転勤の申し渡しを受けました。

新型車の開発の話は小耳に挟んでいましたので「量産化が決まったら多分そのクリーンエンジン開発の一部は自分の担当となる」とは思っていましたが、その一部どころかハイブリッド開発そのもののリーダーとはまさに晴天の霹靂で、たしかその電話の段階では「まだエンジン開発でやりたいこともあるし、ハイブリッドは次のチャレンジ技術なのでもう少し若手にやらせたらどうですか」とお断りしたように記憶しています。

ただ電話口の役員はその断りの返答を「ノーチョイス」と切り捨て、すぐに本社に出向きこの人事を決めた二人の常務のところに行って話を聞くようにと言い切りました。

この時の「ノーチョイス」という発言は、和田副社長が技術部の部長・役員達に「このプロジェクト以上に重要なプロジェクトがあると言うなら言ってみろ!」との量産ハイブリッド開発プロジェクトの組織化を指示された一言があり、その啖呵が回りまわって私のボスからの「ノーチョイス」の一言になったとのちのち聞かされました。

こうした和田さんの強力なリーダシップが、「クレージー」と呼ばれたプリウス・プロジェクトを実現させた大きな原動力となったのは間違いありません。

プリウス開発初期には「雷」も「和田節」も封印

和田明広さんはこのブログで以前にご紹介したトヨタの車両主査制度を確立された、初代クラウンの車両主査中村健也さん、初代カローラの車両主査長谷川龍雄さん後の数多くの車両主査の方々の中でも特に異彩を放たれた車両主査で、そこから役員になられた根っからのクルマ屋として尊敬するお一人です。

設計技術にはとびっきり厳しく、副社長になられても開発レビュー・設計レビューで、常に厳しいコメントを述べられ、またそれが的を射ているだけに指摘された担当部長連からは悔し紛れに「万年係長」と言われていました。

私自身もハイブリッド担当になってから、どこで雷がおとされるのかと楽しみ(笑)にしていましたが、一向に雷が落とされず、人員増強、部品選定、トラブル発生のご報告でもそれらをしっかりと冷静に受け止めていただき、手厚くサポート頂けたことに狐につままれていた気持ちでいたことを覚えています。

しかし1997年12月のプリウス量産開始のちょっと前、10月か11月か記憶は怪しいのですが、和田さんから私とチームのスタッフに「お前らの設計はへぼだ!」といつもの和田さんに戻った雷を落とされました。ただし私は「プリウス・ハイブリッドがやっと半人前でも認知してもらえた」と感じ、肩の荷が少し軽くなったことを思い出します。

「石橋を叩いても渡らない」と揶揄されていたトヨタが、なぜあのハイブリッドプリウスの開発に突き進んだのか、私も断片的には聞いていましたが、それがトップ役員の議論で決まったのか、また本当にやれると思っておられたのか、どのようなご判断でお決めになったのが一度はお聞きしてみたいと思っていました。

そんな中、和田さんと直接お話をする、つまり久しぶりにお元気な和田節を聞かせて頂く機会を得ることができました。お聞きするはずの質問を繰り出す間もなく、和田さんの口から出るクルマへ掛けられる情熱、竹を割るような明確なクルマ開発論を聞かせて頂ける、大変有意義で幸福な時間でした。

「市場の声を聞くな」の真意

和田さんの名言に「自分が乗りたいクルマ、使いたいものを作るんだ」、「市場の声は聞くな」、「(もの=部品を)足せば、かならず引くものがある(減らすことができるもの=部品)がある」というものがあります。これらはクルマとしての全体最適の思想で、お会いしたときもクルマ開発論に話が終始してしまいました。

「市場の声は聞くな」は、誤解を招く危険もありますが、私も全く同感に考えています。現在主流となっている「マーケット調査」に基づく「市場の声」は、今聞こえてくる声を収集したに過ぎず、単なる最大公約数のそうした声に従って生まれてくるクルマは陳腐なものになってしまいます。

『「市場の声」の先』を考え実現させるのが、プロのクルマ屋、ハイブリッド屋の仕事です。ハイブリッドプリウスの開発では「市場の声」を参考にしようにも「ハイブリッド??」の状況で、「自分の乗りたいクルマ、作りたいクルマ」にどれくらい近づけられるかの視点で開発を進めました。

もちろんお客様を全く見ずに、技術者のエゴむき出しで、自己満足の為に作っては良いクルマなどは出来ません。それらは特にエンジン・駆動・制御だの個別技術、個別要素の部分で現れますが、こちらに対しては「乗ったり使ったりするのは、それら技術ではなくあくまで「クルマ」」という視点を持ち、自分が乗ってみたいクルマとしての最適をあのプリウス開発でも和田さんが描いていたことを今回も再確認させていただきました。

和田さん流の技術開発操縦術

初代プリウス開発のエピソードとして、今も記憶に残っているのが、1997年12月のプリウス発売開始の半年も前、3月末に東京で行ったハイブリッド・システムの技術発表会です。

まだ開発状況は不具合の山が残る状態で、量産デザインで試作する正式試作車も遅れに遅れまだ動き出していない状況にも関わらず、ハイブリッド量産の発表をさせられる羽目になり開発陣は梯子に上らされることになりました。

この発表では和田さんがこのハイブリッド量産化の背景や狙いを説明され、私が技術内容を報告しました。その時のQ&Aセッションで、ある記者のかたから「50万以上に販売価格が高くなるのでしょうね?」との質問に、和田さんが「50万以上つけたら、お客様に受け入れてもらえない。受け入れてもらえる価格で出しますよ」とお答えし、これが大きくとりあげられたことを記憶しています。

一部のプリウス紹介本には、奥田さんのセリフとして紹介されていますが、これは和田さんのセリフです。この答えこそが如実に和田さんのクルマ作りへのお考え、その和田さんが率いた当時のトヨタのクルマ作りの考えがでています。エコであろうが、ほかの商品機能であろうが、お客様がその価値を認めてくれるクルマ作りとの考え方です。

1997年12月の立ち上がりまでは、コストアップ、収益性についての注文はほとんどなく、これも異例中の異例のことで、まずは開発を完了させ販売に漕ぎ着けることに集中することができました。しかし、生産開始に見通しがついたとたんに、先の一言「設計がヘボ、量産の設計ではない!」との雷が飛んだわけです。そこからの、品質向上と原価低減活動のすさまじさについては機会があれば紹介したいと思いますが、それがトヨタ流であり、こうした事がハイブリッドが販売の中心となった今につながったと思っています。

和田さん自身もこれまで、プリウスをご自分の愛車として使われ、最近クラウン・ハイブリッドに切り替えられたとのことで、そのクラウンの助手席に乗せていただき昼食の場までもご一緒し、その僅かの間でも今のハイブリッドの出来やクルマの出来について話が弾み、それが尽きることがありませんでした。

根っからの自動車屋の和田さんのエネルギーをいただいた楽しい時間でした。

和田明広オーラルヒストリー:みんカラ 正岡貞雄さんのブログ内
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/1135053/blog/28915926/
和田明広名言集:
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%BA%83