豊田佐吉翁の新型電池懸賞

6月 14 2012

日本の電気自動車の歴史に触れたインタビュー

以前よりトヨタの社内では、電気自動車の開発が話題になる度に、開発中の電気自動車に搭載する電池性能と、戦前に豊田佐吉翁が賞金を出した新型電池の目標性能の比較が話題となることがありました。私自身は、その時の経緯やどのような目標でどのくらい懸賞金だったかなど、具体的な話は知りませんでしたが、先日、自動車技術会のHPにある、「自動車技術を築いたリーディング・エンジニア」という日本自動車技術界の先人達のインタビュー州の中でトヨタ自動車の最高顧問・豊田英二氏が、佐吉翁の電池懸賞に触れておられ、その内容を知ることができました。

自動車技術会 先人のインタビュー: http://www.jsae.or.jp/interview/
豊田英二氏「日本における自動車技術の革新と国産乗用車の開発」:http://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview5.pdf(佐吉翁の電池についての話はp151から)

このインタビューが行われたのは、平成7年4月。いまから17年前で、プリウスの前身である21世紀の乗用車の研究プロジェクト、G21プロジェクトで燃費2倍の目標が示され、燃費2倍のハイブリッドを選び出す研究作業が大詰めを迎えていたころです。

このインタビューのインタビュアーがトヨタ自動車の元副社長金原淑郎氏(技術担当)とモータージャーナリストの栗原定幸氏で、この金原氏がG21の提案者であり、インタビューの受け手であった豊田英二氏がG21の最大のスポンサーでした。そうした背景もあり、この電池への懸賞金のことや、第2次世界大戦最中のトヨタグループでの電気自動車開発なども語れており、非常に興味深く読むことができました。

余談ですが、G21のGは公式にはグローバルのGと言っていますが、当時の社内では、金原氏の「金」ゴールドのGと言い合っていました。また豊田英二氏も、初代プリウス発売後に「自分が若かったらこのプロジェクトをやりたかった」と車両担当の若いスタッフに言われたと伝え聞いています。また、1997年10月の東京ホテルでのプリウス新車発表会では、この発表にこぎ着けたことを大変喜んでおられたのが印象的でした。

現在からみても途轍もない性能のハードル

さて、この佐吉翁の電池に話しに戻ります。このインタビューでの豊田英二氏の説明では、佐吉翁が懸賞の話を当時の発明協会にもちかけたのは大正14(1925年)年のこと、今から87年も前のことです。私は自動車用の電池の話と思っていましたが、実際には電動飛行機用の電池がターゲットだったようで、「こういう性能のバッテリーを造ったら100万円あげます」という懸賞だったようです。 

その時のこういう性能というのが、『100馬力(英国馬力HPなら76.4kW)で36時間連続運転を持続することができ、かつ重量60貫(225kg)、容積10立方尺(278リッター)をこえないもので、工業的に実施できるもの』であったそうです。

当時、性能実現の見込みがないものの懸賞募集をやっては、「佐吉は馬鹿か」とか「売名行為」とも言われかねないので、関係学会の権威者に判断してもらったところ「まったく見込みがないとは言い切れない」とののコメントだったそうです。結局は、これほど画期的バッテリーはすぐにはできそうもないとのことで、バッテリー発明奨励として50万円を発明協会に寄付をし、発明協会の中にその評価をする研究室を設立したそうです。

この目標を今の自動車用電池と比較すると、途方もない目標であった事が明確になります。100馬力で36時間というと2750kWh相当となり、今の日産LEAFの電池エネルギー25kWhの100倍以上のエネルギー量です。電気自動車として考えると、この目標の10分の1でもプリウスレベルの航続距離が実現できるとの計算になります。更にその上で重量と容量まで満たすとなると、途轍もない高いハードルです。飛行機とすると、一人乗りか二人乗りの軽量飛行機で太平洋横断ぐらいを想定していたのでしょう。

日本が太平洋戦争へ向かい最終的に敗戦を喫した理由として、「エネルギー」確保を目的として戦争を行い「エネルギー欠乏」によって敗北したと説明されることがあります。もしこのような電池が表れていたとしたら、自動車や航空機の変化だけではなく、20世紀の世界の歴史そのものが違ったものになっていたでしょう。

輸送機関のエネルギーとしての電池


図は講演で私が時々使う、電池のエネルギーと様々な自動車燃料の体積当たりのエネルギー密度を比べたデータです。電池についても当時から大きな進化を果たし、ここに示すエネルギー密度以外でも、また自動車用としての普及には不可欠の品質・寿命が格段に向上していることは確かですが、それでもこのような数値となります。

この図で思い知らされるのは化石燃料、特に石油の移動用燃料としての能力の高さです。自動車産業の初期に電気自動車が衰退し、ガソリン自動車が隆盛したのはこの能力の高さゆえにです。

佐吉翁の懸賞の要求スペックは何度も書くように途轍もないものですが、無計画なものではなく、電池ですべての化石燃料の代替をするにはこのスペックが必要として弾き出したものなのでしょう。

飛行機や自動車といった、自分を運ぶ燃料/エネルギーも自分で運ばなければならない輸送機関では、搭載重量とともに搭載スペースも重要となります。それを考えると、この佐吉翁の電池が実現されていない現在、電池に出来ることを考え用途を限って使わざるを得ないというが実状だと思います。

また、このインタビューの中では、その後の電気自動車の流れとして、第二次世界大戦後、今の関東自動車工業(来月より合併してトヨタ自動車東日本株式会社)の前身が関東電気自動車製造という会社で名の通り電気自動車の製造をやっていたとか、創業者の豊田喜一郎氏が電気自動車開発を指示し、大阪にあった日本電気自動車製造という会社で製造をやっていたなどとの話もあります。

このときは、敗戦後で石油の輸入がままならず、比較的余裕があった国産の石炭をつかった発電電力を使おうとの構想だったようです。電気自動車に対する販売のトップ神谷正太郎氏(トヨタ自販元会長)のコメントや、英二氏のコメントがのっており、その状況と、それからの社会ニーズの変化、技術の進化を比べてみるのも面白いと感じました。

電気自動車の歴史をたどっても、19世紀からの自動車の歴史の中では出ては消え、出ては消えの歴史を辿ってきていますが、この21世紀に向かいピュア電気自動車かハイブリッドか、はたまた水素燃料電池自動車かどうかは別として、佐吉翁電池の目標にはほど遠くとも、電池を進化させながら、それを賢く使う自動車の電動化の方向で自動車が変革していくことには変りはないことは確かでしょう。G21として燃費2倍を目指すためには、アイドルストップだけではなく、走行中もエンジンを停止してEV走行をさせる機能が必要で、エンジン停止時に使うエネルギーも減速回生を目一杯働かせそれを再利用することが不可欠で、そのエネルギー貯蔵源として高性能、高寿命、低コストのバッテリーが不可欠でした。今だから白状できますが、自動車用としての厳しい品質目標、寿命目標にこのハイブリッドバッテリーが到達できるか、見通しを持ってスタートさせたわけではありません。

初代の立ち上がりでは、不具合の多発でお客様に大変ご迷惑をお掛けしたことも事実です。それから15年、電池品質、寿命は格段に向上させることができ、どんな地域、どんなお客様の使い方でも安心してご提供できるようになりました。電池を賢く使うと軽く書きましたが、電池そのものの進化の他、電池に無理をさせない使い方など使い方の進化も大きかったと思います。電池開発の歴史、この15年の経緯、今のリチウム電池の現状を眺めると、当時と同様、飛行機用は論外としても自動車用としても電池だけで今のクルマの全用途をカバーする時代はまだまだ夢の世界だと思います。エンジンハイブリッドでも、水素燃料電池ハイブリッドでも、またコミューター電気自動車でも、クルマの軽量化、効率化をさらに徹底的に進め、少ない電池をいまよりももっともっと賢く使うことが必要に思います。