ハイブリッド開発に連なるビッグ車両主査のDNA

6月 07 2012

先月の22日トヨタ自動車から、トヨタ/レクサス・ハイブリッド車累計販売台数が400万台を突破したと発表がありました。1997年のハイブリッド車販売開始から15年にしての400万台達成です。

トヨタ最初のハイブリッド車

実は最初のトヨタの市販ハイブリッド車は、12月発売のプリウスではありません。記憶に残っている方は少ないかもしれませんが、1997年8月に小型バスのコースター・ハイブリッド車が最初です。(写真1)プリウスの販売を前にすること4ヶ月、今では懐かしいターセルなどに搭載していた1.5リッターガソリンエンジンを発電用エンジンとしたシリーズ型のハイブリッドでした。

幼稚園バスや電力会社の施設見学バスなど、ユニークな用途としては札幌近郊にある豊平峡ダムリゾートの送迎用バスとして使われていました。しかしながら車両価格が高く、また巡行パワーが小さく燃費メリットも少ない等の理由から、その販売台数は少量に留まっていました。しかしながらこのコースター・ハイブリッドが正真正銘のトヨタ初の市販ハイブリッド車です。なお、400万台のうち100台足らずがこのハイブリッド車でした。

このクルマの開発の主目的は、当時、東京や大阪等の都市圏で社会問題となっていたディーゼルスモッグに対して、幼稚園バスなどのコミューターバス用へのクリーン排気のシステムの導入でした。つまり、プリウス以後のハイブリッドのように、低燃費をメインのターゲットにはしていません。今に連なる低燃費・低CO2を目指したハイブリッド車はプリウスからがスタートです。(写真2)

ガスタービン・ハイブリッドを開発した主査の神様

また、試作のみのハイブリッドであれば、市販を行ったこの1997年コースター・ハイブリッド、これに続き同年12月に販売を開始したプリウス以前にも、永く多種多様な開発の歴史があります。

古くは1960年代後半、都市の大気汚染が騒がれ始めた時に、今の内燃エンジンに替わるエンジンとして、燃焼室で空気と燃料の混合気を連続して燃焼させ、その高温の燃焼ガスをタービンに吹き付け回転させて動力を取り出す、ガスタービンエンジンの研究開発が行われており、トヨタではこのガスタービンでクルマを動かす方式として、シリーズ型ハイブリッドの開発を進めていました。

当時の小型TwoシータースポーツS800、通称ヨタハチを改造したガスタービン車がこのシリーズハイブリッドです。(写真3)


このトヨタのガスタービン自動車の開発に情熱を注いでおられたのが、トヨタのクルマ作りの根本である車両主査制度を確立された初代クラウンの車両主査・中村健也さんでした。

当時私が所属していたマスキー法対策クリーンエンジン開発プロジェクトセンターの中に、このガスタービン自動車開発など長期的な研究開発を行う特殊研究室というチームがあり、既に車両主査の神様のような存在であった中村健也さんがたびたび顔を出され、若いエンジニアからの報告を熱心に聞かれ、指示をだしておられたことを横目で眺めていた記憶があります。

直接そのハイブリッド開発が、プリウスハイブリッドにつながった訳ではありませんが、モーター開発、そのコントローラ開発が連綿と続けられてきたのは、このガスタービンハイブリッド開発にルーツであることは確かです。

車両主査は「社長の代行」

以前のブログで“トヨタのDNA 車両主査制度とプリウス”で、中村健也さんに続き、この車両主査制度を確固としたものに作り上げた、初代カローラ担当の車両主査長谷川龍雄さんの「車両主査10ヶ条」を取り上げました。

このブログでも、初代プリウス開発でも、トヨタのDNA、「車両開発主査」に開発の全てを集約することを心がけ、それを開発スタッフが支えきる、これが成功に導いた理由の一つと説明をしました。

トヨタには中村健也さんが初代クラウンの車両主査を命じられた時のエピソードが、車両主査の責任と権限の議論として伝えられていました。自動車会社経営の根幹は、よいクルマを作り上げることであり、車両主査はそのとりまとめ役としての責任を負うのだから社長の代行が役割で、どうしても設計などラインが動かない時の強権発動の権限についての議論の時に、当時のトップ(豊田英二さん?)から、トップへの直訴権をもらったとの話です。

中村健也さん曰く、その直訴権を発動したことはないとのことでしたが、われわれ若手エンジニアでも「車両主査」からの要請は何よりも優先との意識を叩き込まれていたように思います。私がエンジニアとして永く過ごしたエンジン分野は、車両主査からなかなか言うことを聞かないと言われていましたが、新しい開発テーマでは、クルマに採用してもらうことが成果の一つであり、開発スタート時にはターゲット車両とその車両主査の顔を浮かべながら、また売り込み文句も考えながら開発を進めたものです。

プリウスも、この社長への直訴ではありませんが、将来自動車へのチャレンジプロジェクトとして、社長代行役の「車両主査」に開発を集約、そこで、設計、評価、生産スタッフが無理難題にチャレンジし突破できたことが、この400万台に繫がったと思っています。

初代クラウンの中村健也さん、初代カローラ・セリカの長谷川龍雄さん、スープラの和田明弘さん(プリウス開発当時の技術担当副社長)、初代レクサス(日本名セルシオ)の鈴木一郎さん(後トヨタ車体副社長、トヨタ自動車技監)、「天才たまご」と名付けた、たまご形シルエットをもつ初代エスティマの塩見正直さん(プリウス開発スタート時の常務、商用車開発センター長、ハイブリッド開発拠点となったEV部、BR-VF室担当)といった、それぞれ個性的な“ビッグ”車両主査達が、その時代の節目となり、次のトヨタの飛躍に繫がるクルマを作り上げてこられました。このDNAを引き継いだのがプリウスだったと断言できます。

中村健也さんのインタビューが自動車技術会のページにあります、興味を持たれたなら一度お読みいただくことをおすすめします。
http://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview11.pdf

プリウス開発を支えて下さった“ビッグ”車両主査の方々

プリウスの量産プロジェクトスタート後の1996年6月、ハイブリッドや電気自動車開発の牽引者だった塩見さんがトヨタ車体の社長として転出されました。ハイブリッドプリウスの開発が混沌としてまだ先が見えないその時期に、役員に昇任されてハイブリッド開発の中核部隊のEV部、われわれが所属していたBR-VF室担当となった方もまた、クラウンの主査をやってこられた渡邉浩之さん(現トヨタ自動車技監)でした。

昨年7月のブログで、このプリウス量産開発のスタート時の状況を“非常事態宣言”とのタイトルでお伝えしましたが、ハイブリッドの量産開発を強くトップに働き掛けられたのが塩見さん、トップ会議での1997年12月販売開始とのクレージーな決定を受け、技術部隊に号令を掛け、「このプロジェクトより優先のプロジェクトがあるなら言ってみろ!」の一言で噛みついてきた部長連を黙らせてゴーをかけた当時の技術担当副社長が和田明弘さんでした。またこの発言をされる前に、組織、体制作りを各部長と調整する技術管理・企画スタッフに対し和田さんから「自分はいくら悪者になっても構わないので、このプロジェクトが上手く成功できるよう、皆で知恵を絞って頑張って推進して欲しい」とのコメントがあったことが、私のノートに残っていましいた。

その後で“非常事態宣言”書を作り、まずそれを持って開発体制強化を直訴した相手が、新役員として就任された渡邉浩之さんでした。新役員に就任されると、その担当範囲が広がり、また未経験分野だと引き継ぎやレクチャを受けるのに多忙を極めます。

渡邉さんも、それまでの車両主査から、まさに会社を挙げたチャレンジプロジェクトでまだまだ先の見通しもないハイブリッド担当の他、カリフォルニアZEV対応として出さざるをえない電気自動車開発とその主要ユニット設計を担当するEV部の他、海外サービス部門もご担当と、EV部・BR-VF室の席を温める間もなく飛び歩いておられました。

“緊急事態宣言”書をもとに現状を説明し、次のアクションのご相談のためにまとまった時間を貰おうとしても、隙間なくスケジュールが埋まっている状態でした。秘書の女性と相談してとった作戦が、たまたま静岡の研究所(東富士研究所)に出張される日があることに眼を着け、三河安城からの「こだま」のグリーン車に偶然乗り合わせたかのように乗り込むことでした。当時の「こだま」のグリーン車はいつもがらがらで、貸し切り状態であることを良いことに、三島に到着するまでの1時間半を目一杯使って現状を説明し、体制強化についての提案をしました。時間が足りない分は三島駅から研究所までのクルマの中で議論を続け、すぐその場で賛同をいただき、人材補強、開発コントロール会議の設定、そのやりかたなど動きだすことができました。

このような、ビッグ車両主査のかたがたの判断基準、生産技術、生産準備、生産、調達から販売、サービス、販売店サポートまでの幅広い人脈と、その経験にもとづくご指示、サポートがあったからやりきれたように思います。

顔が見えるビッグ車両主査の出現を

その後2000年のマイナーチェンジでは、ハイブリッドをサラから作り直すようなビッグチェンジを行った上で欧米にも展開し、2003年の2代目、2004年のV6エンジンの電動4輪駆動のハイブリッドと、ハイブリッド自動車としての技術進化と、何度か取り上げている信頼性品質、車両品質の向上への取り組みがここまでの普及に繫がったように思います。

一時、車両開発期間短縮、海外生産の急増、開発車種の急増によって、以前ほど「車両主査」がまとめ役として力を発揮する開発が見あたらなくなってきたように心配をしていました。こちらも年をとったせいで懐古的になっているのかもしれませんが、将来のクルマへ拘り抜く、ビック車両主査が少なくなってきたようにも感じます。

省エネルギー・クリーン・低CO2は次世代自動車の必要条件ではあり、その更なる進化は当然期待していますが、その上で乗ってハッピー、サプライズ、そして時にはエキサイトを感ずる将来のクルマへのチャレンジを引っ張る、顔が見え、クルマに拘りを持つ、ビッグ車両主査の出現とその作品に期待を込めています。

こうして作られたクルマには、当然、今以上の高効率、クリーンで、その上、回転ののびとともに高まる出力と澄んだエンジンサウンドを持つハイブリッド車用エンジンと、トルクフルなモーター、そのモーターに十分なエネルギーが供給できる、コンパクト、軽量、その上安価なハイブリッド電池を持つハイブリッド自動車がベースになることは言うまでもありません。

トヨタ・豊田DNAを引き継ぐ章男社長が、車両主査の権限強化に動かれていると聴き、次のビッグ車両主査の出現と、チャレンジした成果としての作品(クルマ)に乗れる日がそれほど遠くないことを期待しています。