「ゼロ・エミッションビークル」

あの大震災から一ヶ月、気温が上昇してしばらくの間は計画停電も実施の必要がなくなりました。TVでも、一時期のACだけという状態ではなくなり、CMも少しずつ平常に戻ってきているところですが、工場の操業停止の影響か自動車のCMの数はずっと減っている状態となっています。さて、震災前の自動車のTVCMで連呼されていたフレーズに「ゼロ・エミッション」というものがあります。私はこのフレーズには現役のエンジニアをリタイアした今でも違和感をもっていましたので、今回はその話です。

カリフォルニアから一般的になったゼロ・エミッションという言葉

1990年に、ロサンジェルス地区や州都のサクラメント地区、サンディエゴ地区の光化学スモッグがなかなか改善していかないことに業を煮やしたカリフォルニア州が、その抜本的な改善を目指し、極めて厳しい自動車排気ガス規制の導入を決めました。
それが、LEV(Low Emission Vehicle)/ZEV(Zero Emission Vehicle)と呼ばれる自動車排気ガス規制です。

このうちのZEV規制が、排気ガスをださないクルマ、すなわちエンジンを持たない電池エネルギーだけで走るクルマ、電気自動車をある比率販売することを義務づける規制でした。
エンジンを持たないクルマ、すなわち走行中の排気ガス排出ゼロから「ゼロ・エミッションビークル」という定義です。

これはカリフォルニア州で販売する全ての自動車メーカーに対する販売義務づけではなく、当時ビッグセブンと言われた、GM、FORD、Chrysler、トヨタ、日産、ホンダ、マツダのカリフォルニア州での新車販売台数シェアの大きなメーカーが対象でした。

当時私は、トヨタでのLEV、すなわち従来エンジンを搭載するクルマの規制対応技術の開発リーダーでした。従って、何度もカリフォルニア州に足を運び、光化学スモッグの実態を実地で確認しました。また、規制当局であるカリフォルニア大気資源局、略称CARB(California Air Resources Board)とも密接に接触し、規制導入の是非やその技術的可能性やその経済性を議論する公聴会への参加や、CARBスタッフとのミーティングを持つ機会を頻繁に持っていました。

大気汚染を脱する為の官民協働

アメリカでの規制の決め方は、規制当局がそのドラフトペーパーを発行し、それに自動車メーカー、石油会社、環境団体、地域代表などさまざまな関係者がコメントを提出し、さらに公聴会が開かれ、さまざまな意見を闘わせ、そのうえで修正を加えて規制法案を決定するというものです。

これと同時に、規制当局スタッフとメーカーとの個別ミーティングも行われ、規制案に対する技術面、マーケット面からの課題、規制方式に対するスタンスなどの意見交換を行います。
ここでは、規制案への疑問点、対案、技術的難易度など、かなり突っ込んだ、またシビアな意見交換も行われていました。

LEV/ZEV規制でもこのようなかなりシビアな議論が闘わされました。中でも規制そのものの効果についての議論では、彼らが大学などの研究機関に委託して行っているロス地区での自動車からの大気汚染物質の排出量とオゾン濃度のシュミレーションモデルでの計算結果基づく規制実施の理論武装に対抗して、その反論、対案なども同じ大気モデルでの実証が求められました。

トヨタの中でもシュミレーションモデルを使った大気汚染研究を本格的に行うようになったのも、このころからです。われわれ、クリーンエンジン開発のエンジニアも、単にエンジン排気ガスをクリーンにする技術開発を行うだけではなく、その目的である自動車による大都市での大気汚染発生のメカニズム、低減の方向などを学ぶことができました。

言うまでもありませんが、排気ガス規制強化は健康にも影響を及ぼしている都市の大気汚染改善が目的です。規制で決められるルールだけのクリーン化だけでは不十分、実際の大気汚染を改善するもっと効果的な方法がないかの検討も行い、CARBとも議論を行いました。以前のブログでも紹介しましたが、このようなCARBスタッフとの議論、意見交換の、さらには公聴会などで知り合ったビッグスリーのエンジニアなどとの交流のなかで、クリーン技術開発の目的として規制ルールに対応する技術ではなく、「リアル・ワールド」実際にクルマを使った状態でのクリーン度や燃費に注目するようになりました。

一人歩きしはじめた「ゼロ・エミッション」

ZEV規制についてもこのリアル・ワールドでの大気改善効果について議論を闘わせました。
ZEVすなわち、電気自動車のクリーン度が論点になり、「リアル・ワールド」としては、電池に充電する電気の発電所時の汚染物質も論点になりました。電気自動車は自分では化石燃料を使うエンジンは持っていませんが、電気の大部分は化石燃料の熱機関(サーマルエンジン)により発電される電気を使っていますので、これを考慮に入れることが必要です。

この時の議論で、われわれは全米平均での発電電力から排出される大気汚染物質、窒素酸化物(NOx)、亜硫酸ガス(SO2)を問題にし、電気自動車は「ゼロ・エミッション」ではないとの提言を行いました。全米では、石炭発電が多く、日本の発電所に比べるとNOx、SOxを除去する脱硝、脱硫設備が不十分で多くの汚染成分を排出していました。

もちろん、石炭発電では多量のCO2を排出していますが、当時のLEV/ZEV規制議論はあくまでも都市のオゾンや浮遊粉じんの都市大気環境問題が対象、CO2の排出削減はまだ議論にはなっていませんでした。

そのときのCARBスタッフの反論は、カリフォルニア州には石炭火力発電所が少なく、供給電力はネバダ、コロラドからの水力発電やカリフォルニア南部の原子力発電、さらにロス地区にはLNG発電所しかないので、ZEVで議論するエミッションはロス地区の電力Mixとして扱い、ほぼ「ゼロ・エミッション」と反論されてしまいました。しかし、このZEV規制が今では石炭火力の多い東海岸の州にまで採用されていますので、我々の主張した電気自動車のクリーン度はもう一度議論する必要があると思います。

今は、自動車排気ガスのクリーン度とともに地球温暖化の原因物質であるCO2排出が問題となってきています。CO2排出こそ、グローバルな問題ですので、走行中の「ゼロ・エミッション」が狙いではなく、発電所から発生するCO2排出量を含めた、「リアル・ワールド」での影響として扱うべきです。その意味で、今回の大震災での原発事故は電気自動車やプラグイン自動車の普及によるCO2削減シナリオにも大きな影響を及ぼすことになりそうです。

国・地域・地方によって電気自動車の環境貢献度は異なる

この電気自動車のCO2排出については、最近イギリスのコンサルタント会社から、日産LEAF、三菱i-MiEVを題材に、最新のディーゼル車、ガソリン車、さらにはトヨタプリウスを題材に、発電電力を含めたCO2排出量の比較を行ったレポートを発表しました。下の図はこのレポートの図に、比較参照のためにプリウスの排出量を私が加えたものです。

電気自動車のCO2排出量比較(欧州試験モード基準)

電気自動車のCO2排出量比較(欧州試験モード基準)


出典:Ecometrica,UK,Technical Paper

このグラフは電気自動車の欧州試験モード基準の、走行距離1kmあたりのCO2排出量を表しており、電気自動車のCO2排出量は各国の発電所の形態(発電Mix)による1 kWhあたりのCO2排出量によって大きく変わることを示しています。ちなみに英国(UK)では75g_ CO2/km、原子力発電と水力発電で90%以上の発電をしているフランスでは12g_ CO2/kmですが、石炭火力が大部分の中国では115g_ CO2/kmと同クラスのディーゼルやプリウスの89g_ CO2/kmよりも多いCO2を排出してしまうことになります。このグラフには示されていませんが、おそらく日本では、英国やアメリカよりも少ないCO2排出量となるはずです。しかしながら、震災の影響で原発の未来が見えない現在、東電の記者発表でもあったとおり少なくとも短期間の間は日本の1 kWhあたりのCO2排出量は上昇すると思われます。

大気環境改善のための排気のクリーン化、また地球温暖化緩和のためのCO2排出量削減、さらにピークオイル、エネルギー資源問題に対応するための省資源、省エネ、すべて「リアル・ワールド」での取り組みが必要です。その意味で、TVコマーシャルにでてくる「ゼロ・エミッション」との言葉に違和感を持っていました。

さらに、この「リアル・ワールド」、すなわち実際に効果を発揮する環境改善、省エネ、省資源の観点では、それぞれの燃料製造過程からクルマの走行過程までのクリーン度、燃料消費、エネルギー効率での改善が必要です。

「リアル・ワールド」で貢献してこその環境自動車

石油燃料であれば油田(Well)での生産から精製過程、スタンドまでの輸送過程から給油(Tank)、その燃料によるクルマの走行(Wheel)、すなわちWell to Wheel(WTW)での燃料消費、CO2排出量でその効果を議論することが重要です。さらにその上で、クルマを構成する材料や部品の製造、組み立、販売店までへの輸送、使用中のWTW、修理やメンテナンス、さらには廃車処理までふくめて、クルマの一生でのエネルギー消費、燃費、CO2消費量での把握と、その「リアル・ワールド」での削減を計る必要があります。

この「リアル・ワールド」での省エネ・環境保全として、短中期ではハイブリッド車の進化と普及に期待をしていますが、中長期的にはピークオイル、ポスト石油としてバイオ燃料の拡大とともに、一般電力網から電池を充電してそのエネルギーをクルマの走行に使う自動車のプラグイン化が有力なメニューであることは変わりません。

これをやはり「ゼロ・エミッション」とのセンスではなく、「リアル・ワールド」での視点、さらにそれも「リアル・ワールド」マーケットでの普及台数と使用実態まで考慮したその実現性がリアルなシナリオを作り出していきたいものです。

補足「ZEV」のその後

その後のZEVの顛末ですが、いろいろ紆余曲折がありましたが、少量販売によるデモテストとしてスタート、トヨタも1000台以上のRAV4EV電気自動車を販売しました。重量450kgのNi-MH電池を搭載しても、「リアル・ワールド」での航続距離は120km程度、さらに大きな赤字を抱えての販売でしたが、それでも他社の様々な電気自動車との対比では走行フィーリング、性能、品質、耐久性、さらにその技術面では一番優れていると言われていました。

しかし、この実証試験でも「リアル・ワールド」での実用化は困難との判断で、ZEVの一部をプリウスのようなハイブリッドのクリーン車をATPZEV(先進技術パーシャルZEV)や従来車の究極クリーン技術車をPZEV(パーシャルZEV)での代替を認める緩和措置を行いました。さらに、2008年には、自動車の環境規制では世界のトップを走ってきたとの自負を持つCARBでは、シュワルツネッカー知事のサポートもあり、地球温暖化問題に関連する自動車CO2規制でも世界をリードしようと、自動車CO2規制ととものZEV規制の改定も行い、電気自動車、燃料電池自動車、プラグインハイブリッド車の販売義務づけ強化を行ってきています。